彷と徨
私は彷徨うことが好きだ。
実際自分でも何故そうなのかはよくわからない。
去年の夏前、品川から何故か常磐線に乗ったら何故か日立に居た。
別にこれといった目的があってそこ迄行った訳では無い。
意図して日立で降りたわけではなかったのだが、ちょうどその時夕暮れで、都合良く日立駅は海沿いで全面ガラス張りのようなデザインであったのでホームから階段を上がった途端、視界が開けて目の前に薄暮の大洋の白波が見えた、しばしの間、目を奪われて、動けなかった。
そう云う感覚をすごく大事にしたい。
私の脳味噌は恐らく考えることに向いていなくて、惰眠を貪り、偶にパッシブに物事を受け止めることだけにむいているのだと思う。
だから、電車に乗って行く宛もなく彷徨っている時は幸せだ。でも、唐突に車窓から見知らぬ街の夕暮れを見て思う、
『私は果してここから帰れるのだろうか』
そりゃ帰れる筈だ。金があればまた電車に乗って家まで帰ればいいんだ。終電逃したって一晩くらいならなんとかなるだろう。でも、そういうことじゃあないんだと思う。
既にもう初めて行った領域でそこから更に下っていく。全くのノープランの旅だ。初めて聞く駅名、方言、全てが新鮮で別世界に思える。
そして、そこから帰れないような気がしてならない。
上りの電車に乗り換えてもこの畑とすすきのと方言が、いつまでも続いて、ループしているような、そんな気がして心配で、慄いて、それが快感なのだ。
だから、一度行ったところではこの快感は二度と味わうことが出来ない。
ところで私はよく電車で房総半島1周などをしていた。
もうこれには先程のような快感はないのだが、でもやっぱり無為に旅するのは楽しい。
内外房は海が見えて綺麗だ、総武本線や成田線は果てしなく荒地と畑と森が広がっている。
普段このような路線を使っている人もこんな奥地の方までは滅多に行かないのではないだろうか。
そしてある日もまた、旅をした。
その日は確か、防衛医大の二次試験のちょうど1週間前だったのだが、その時期はかなり精神的に辛かった覚えがあった。
わずか10kmでも初めて歩く土地だと果てしなく長く感じる。周り一面田んぼと畑に囲まれて、風や、鳥や、虫と共に歩いた。
果して大洋は眼前に現れたが、それも整備された海水浴場ではなく、ただの荒れ果てた海岸だった。砂浜は侵食され崖のような砂の壁が水面に長い影を落とし、それが波動に伴って畝った。
ここからずっとずっと泳いだらアメリカとかに着くのかなとかなどと考えた。
その後海岸線を北に更に10km弱歩いた。
呆気なく沈む陽を見ながら今日は塾があったことを思い出した。
畑の土の匂いがまだ、鼻の奥に染み付いて取れていなかった。