振り返り

 

 

前期入試の2日目、本郷のキャンパスの理系受験生は大抵赤門や正門のあるキャンパス西方から帰っていく、だが人混みは嫌いなので僕は東の門から出て上野駅まで歩くことにした。

 

時は少し戻って、英語終了の時間、時計の秒針はわざわざ直すのも面倒だったので、16時を1分と20秒回ったところでチャイムが鳴った。

 

 

終わった

 

 

という気概はむしろ無かった。皆無だった。

歓喜に震えるわけでもなければ、悔しさや諦念を内に秘め悶えるわけでもなかった。

ただ、僕の目は、一枚の、キャラメルの透明な包み紙を通して見るように、いつも通りの世界を見ていた。別にまた明日ここへ来て試験を受けろと言われても不思議ではない感じがした。

今この瞬間に、僕の、人生の、ある重要なフェーズに幕が降りたと、無理に考えようとして、余計にできなかった。

 

 

 

退場の合図は何故かよく覚えていない、人の流れに乗って、気付いたら外へ出ていた。

試験場を出て、東へ向かう受験生はほぼいない。

西日を浴びた安田講堂は無表情を留めていた。

  

 

 

本郷キャンパスの東方には坂を出て降ったところにすぐ不忍池があり、その奥はすぐ上野だ。

池の南端を西を背にして辿っていく。

 

 

 

ふと、背中に熱を感じたので、夕日とそのまま池の水面へと目をやった。

この時期の池には蓮の葉はほぼ見られない。

それが幸いしたようだった。

ビルの間からの太陽の残滓は緋色のラインを鏡面のような水面を穿って描いていた。

水面は時折、微風で割れて、緋色は濃紺の上で踊った。

だがそれは決してわざとらしくなく、自然だけが表現できる調和、写真や絵画、如何なる文章や音楽でも表現し得ないであろう静謐が、大都会東京の喧騒から一拍おいた程度のところで保たれていた。

 

 

 

 

今この瞬間に、眼の前の景色に、いや、僕の眼球の表膜にひびが入ってぺりぺりと剥がれていってもおかしくはないと思った。

鋭敏な、無数の針が、僕を突き刺して中に入ってこようとする。

眼の前の光景と一つになる、調和だ、皮膚や眼球、鼓膜、あらゆる感覚器官の被膜が剥がれて、剥き出しになって、その痛みを、苦難を、受け入れて、静謐と癒着する、そんな欲望のようだった。

 

 

久し振りに、リアルを見た。そう思った。

たが、刹那、緋色の残滓は尽きて、僕の目は再び自らに透明な包み紙をかけて、尖り過ぎたリアルが、僕を傷つけるのを防いだ。

 

 

その時、自分で自己防衛に気付いた時。

あの入試が終わるということがどんなに恐ろしいことなのか、無意識のうちにわかっていたであろうことが、理性の内で、わかったような気がした。

キャラメルはいつかはきっと溶けてしまう。